2025/11/30

⇧ 〇 久留島陣屋 旧豊岡港 ① ⇧
山間の豊後森藩は 参勤交代のために 豊後豊岡から船で行った
そのために 持っていたのだが…
どうも 立派な神社だということらしい
と、いうことで ぶんごとよおか 駅から 山に向かって歩いている

人家を抜けて じゃないかな~ っていう 道を 上り
急坂の カーブを 曲がると
ん?

なんか ありそう
ズーーム

石垣だ
急に 早歩きになる
珍しく スケールさん 置き去り

お~~ ここに 間違いなさそう


すごい 急坂 青春 真っ只中!

実は 以前より 日出町観光パンフレットで 大山積神社は 目にしていた
が、森藩の飛地というのは 知らなかった
今回 角牟礼城 久留島陣屋に訪れ ここの飛地を知ったのでした

おさらい
慶長六年 1601 森藩主 久留島康親が 郷里の伊予国の氏神 三島宮を勧請
三島神社 創建
祭神は 大山積之大神 天御中主之神
※ 勧請=かんじょう 祭神=さいじん
明治5年 1872 妙見宮を合祀 翌6年 郷社となり 末廣神社 と改称
と いうことで ここは 大山積神社

祭神は 大山積之大神
「祇」「積」
どちらも読みは おおやまづみ
神武天皇の東征まで 遡る祭神

ん?
鳥居に 神社の名前の、、
「神額」 というらしい
ありませんね… どういうことでしょうね

わずかに 掛けてたような 痕があります
こういうこと 今までになかった…

ここは現在も 大山積神社 な はずだが…

なんか ちょっと さみしくなってきた
この鳥居は 一の鳥居なのだろうか…
飛地だから 街からの参道は なかったかも
普通なら 二の鳥居の位置じゃないかと思う

(右)奉寄進〇表一基
(左)嘉永六歳次癸丑九月
※1 右の 〇 の字が わからない 鳥居のことを 「華表」ともいうらしいのですが
「華」では ないですよね? ダレニキイテルノ
※2 左の「次」 これは 「年次」ということだろうか?
嘉永六年 と言ったら 大事件があった年だ
1853
6月ペリー来航
12代 家慶 から 13代 家定 空白時期
その頃 ここ豊後では…

鳥居を 通り
あ、鳥居は くぐる=潜る と、聞いたり読んだりしますが
潜るという言い方は どうかと思うのですよ
実際 潜らなければいけないほど 低くないし
そもそも 鳥居は 「通り入る」ってことだというらしいので!

あっ ここ 大山積神社 しっかり 彫られています
登ってきた 急坂の改修ですね 最近だ…

右は 🅿 ですね ここも改修したようです

🅿 高石垣ですよ!
後で 行ってみましょ

まずは こちらの 江戸期の石段 上がりましょー